なんとなく悲惨な半生を綴ってみる

半生についてココに綴らせて下さい。

1980年代後半、東海地方に生まれる。

長男ということもあり、相当可愛がられて育つ。

心身ともに健全で社交的だった小学校時代

体型はガリガリだった。

スポーツ少年団に入り友達もいた。

ここまでは、割りと健やかに育つ。明るい社交的な人間だった。

問題はここからだ。

悩みが増えていく中学時代

自分が包茎だということに気づく。しかも真性・・・

女性はあまり詳しくないと思うが、完全に皮に覆われているため勃起すると痛むし、成長もしない。こどものちんちんのままだ。

そんなもの同級生に見られた日には弄られ続けること請け合いだ。

自然教室、修学旅行の風呂の時間が恐怖でしか無かった。

一人の男にバレてしまうがそいつは周りに言い触らすような人間性ではなかったのでなんとかそれでいじめられる、大勢に弄られるという事態は回避することができた。

一対一のときは弄ってきたが・・・

あともう一つの悩みが歯並び。一言で言うと出っ歯&でこぼこ。口を閉じてると目立たないが。

だが、前述の通り、包茎による負い目(もちろん物理的にセックスもできないのだが)やコンプレックスによる周囲を意識しすぎるいわゆる中二病?で交際に発展することはなかった。

今考えると人見知りが少しずつ顔を出してきたのはこの時期かもしれない。

悶々とした日々を過ごしたが、もともと負けず嫌いな性格により担任に絶対無理だと言われた進学校に合格することができた。

コンプレックスに葛藤する高校時代

住んでいるところでは一番の進学校に入学することができた。

ここでも相変わらず中学のときと同じような悩みを抱えて生活していた。

真性包茎、歯並び、ガリガリのトリプルパンチ。。。

泊りがけのキャンプのようなものがあったのだが、こどもちんちんが発覚するのを恐れるあまり欠席してしまった。

忘れもしない。キャンプが終わった翌日のクラスの教室に入ったときの同級生たちの視線を・・・

包茎の悩みについては解決に向けて高校の時点では何も行動は起こさなかったのだが、歯並び問題については高校2年で改善に乗り出した。

まさか、ここでの決断が後々まで自分を苦しめることになろうとは、このときは思っても見ないのだが・・・

つまり矯正治療の失敗である。

間違った歯科矯正による顔貌の悪化、いや矯正し始めのときはみるみる口元が改善していた。

しかし、その改善も束の間、みるみる口元は悪化していき、治療する前よりも見た目は悪くなってしまう。

見た目どころか上手く笑うことすら、口を大きく真っ直ぐ開けることすら出来なくなっていくのである。

このことについては、詳しく書くと長くなってしまうので別のエントリーで書きたい。

高校の3年間も女性と交際することなく終了した。

とにかく実家を離れたいと考えていたので都内の国公立大学を受験。

しかし、不合格になってしまい、滑り止めにしていた私立大学の理系学部へと進学。

苦悶の大学時代、だが問題解決に向けて出来る限りのことはやった

大学進学のタイミングで上京、一人暮らしを始める。

大学では、これまでの一応あった友人関係は全て遮断していくことに。

その理由は悪化していく自分の顔貌を知られるのが嫌だったため。

新規の親友というのも正直できなかった。いや親友の定義にもよると思うが。。

この文章を書いている20後半の現在1年に1度は会うと言う定義なら大学時代に知り合った1人だけだ。

その友人というのはある音楽系のサークルに一緒に入った他学部の子だ。

楽器にさほども興味もなかったが音楽系のサークルに入った理由は、ほんとにゲスなのだが、

他の女子大とも交流があったため、清楚系の女の子とたくさん知り合えそうなのでは、と思ったため。。

まあ、現実はルックスのいい女の子というのはほぼ皆無だったわけだが。

そして、中学からの数年間苦しめられていた、真性包茎問題にも着手した。

散々悩んだあげく手術に踏み切る決断した。

適当に矯正を任せる医者を選んでしまった後悔から、入念にネットで包茎手術について調べた結果、

上野クリニックで包茎手術を受けることを決意。

この手術の詳細についてもまたおってエントリーを書きたいと思う。

手術については今でもやってよかったと思う。

というか恥を偲んで親にお願いしてでも高校ぐらいで手術してしまえばここまで異性問題をここまで拗らせなくて

済んだのかも、といまだに考えてしまったりする。

まあそんなこと考えても意味は全く無いのだが、、過去は変えられない。

さて、大学1年で包茎問題については決着、一つ悩みは減ったのだが、すっかり異性に対して関係性を構築することを怠ってきたためまともに話すことすらできない状態になっていた。

間違った歯の矯正治療が進み、顔貌が悪化していくなかで矯正医への恨みが募るばかりで負のスパイラル状態に陥ってしまった。

目つきも悪くなったようで、次第に喋ったこともないような人からも明らかな嫌悪感を向けられることも増えてきた。

やはり、負の感情というのは顔に出るようだ。でも如何とし難いこの境遇、ポジティブになることなどできず、一人暮らしの部屋から大学の授業とバイトの時間以外出ることはほとんどなかった。

学部は情報系だったのでプログラミングや統計、生産管理、人間工学等が主だった。

ただどれも嵌まらず、なんとなく授業を受ける日々。

ただなんとなく将来稼げそうという理由で金融工学のゼミに入った。

苦戦した就活、そして大学卒業

金融系のゼミに入った流れで就職活動は、証券会社、銀行、信託銀行、損保、アセットマネジメント等を中心に受けていった。

人との交わりを極端に避けていった、避けざるを得なかったことからコミュニケーション能力は著しく低く、面接は困難を極めた。

それまでの矯正医への恨み、自分の過去の選択の後悔からのストレスだけでなく、20社程不採用になったあたりから社会から必要とされてないという絶望感も加わり、面接に向かう電車の中で貧血で倒れ、顔を切ってしまったくらいに精神的に追い込まれていた。

正直、夜も眠れなかった。

今になると全部不採用なら不採用で吹っ切れた別の人生があったんじゃないか、なんでそんなに悩んでいたんだろうと思う。

だが、あるマイナーな金融系の企業に引っかかり、なんとか内定を獲得することに成功する。

マイナーなだけに一発で特定されるのでこれ以上はこの企業について書けないが。。

ここまでの内容でも数少ない、これまで関わった人が見たら分かるかも、、まあいいか、、

こうしてなんとか無い内定(今は死語?)を回避はできたが、大学4年間も非リアな生活を過ごし、包茎手術をしたにも関わらず童貞のまま卒業することとなった。

社会人一年目から三年目

固定された集団で生活するのが高校を最後になっていたので、会社で上手く他者と接することができるかすごく不安だった。

そして不安通り、他者と上手くやることができなかった。

事務処理など仕事自体は出来るのだが、他者と折衝が必要なこととなると途端にコミュニケーションにストレスを感じるようになった。

目をちゃんと合わせて話すことさえ困難に。

いつの間にか自分の見た目は他者に嫌悪感を与えるものになっていたらしい。

普通にしていても、人から嫌われているなんてことがザラに出てきた。

自分にだけ全く目を合わせないなんてことがしょっちゅうある。

最初は何か自分の仕事ぶりが問題なのか、と思っていたのだがどうやら違うらしい。

人が嫌悪感を出す表情を観るのが怖くて、コミュニケーションが億劫になっていった。

対人恐怖症とでもいうのだろうか。

童貞卒業

だが、いまだ童貞であることに焦りを抱いていたのと、とっとと結婚をして守るべき者、愛すべき者がいる立場になれば

対人関係でのストレスも乗り越えられるのではないかと考え、婚活系のサイトへ登録を行った。

またこのときのことも別エントリーで書こうと思うが、結果からそこで会った一人目の女性と付き合い、童貞を捨てるに至る。

だが、価値観が全く違ったのと自分の彼女に対する許容度の無さにより自然消滅してしまう。

その頃、好きだっだのは会社の女上司。

一回り歳上だったのだが、ものすごく可愛く綺麗な女性だった。

永作博美をさらに可愛く、綺麗にしたような感じでさらに物凄く聡明な女性だった。

なぜか色気も持ち合わせているという僕の中で今もなお、顔見知りの中ではダントツのランキング1位だ。

まあ、当然既婚者なのだが・・・

その人の気を引きたくて仕事を頑張っていたが、一つ上の同じ部署の先輩がその人に気に入られ、

自分は嫌われていくという、いつもの構図となり正直嫌気が差してきていた。

もちろん、嫌われるのには自分に原因があるのは百も承知だ。

表情が悪いとかだとは思うが、正直、歯列の矯正に失敗し、上手く笑うことさえできない、真顔でいても嫌悪感を持たれる自分にどうすればいいのか今も答えは出ていない。

完全に鬱手前になっていたと思う。

他者と上手く関係を作れない、しかしそれは自分のこれまでの(主に歯列矯正の)選択ミス、だが矯正医への恨みもある。

人から向けられる嫌悪感に次第に食欲も失せていき、元々ガリガリ体型なのにさらに痩せていった。

休日は家でこもって読書や映画、動画を観る生活。

そんな生活に転機が起こる。

ネットワークビジネスを始めて2年間で辞める

あるとき仕事帰り本屋をうろついていたときに急に女性に声をかけられる。

「難しそうな本ですね、投資とか詳しいんですか?」

驚いて返答に困り、少しどもり気味に

「仕事関係の本を探していて・・・」

とか返してその後少し話し、連絡先を交換した。

特に好みの女性ではなかったので、その意味では微妙だったのだが、見知らぬ人に自分と言う人間が話しかけたい対象に写ったというのがとても嬉しかった。

まあ、それも勘違いで、ゆくゆくはネットワークビジネスに繋がっていて、それを始めるに至った。

このことについてはまた詳細を別記事にして紹介したい。

詳細記事はこちら

ネットワークビジネスというのはMLM(マルチレベルマーケティング)とも呼ばれていて、MLMを採用している企業の商品を人に紹介し、その人が購入すれば報酬が発生するというビジネスモデルになっている。

AがBに紹介し、Bが更に別の人Cに紹介し、Cも購入するとAにも報酬が発生する。

簡単に言うとこのビジネスをする人を自分の紹介経由で増やし、商品を皆が買ってくれれば、儲かるっていうモデル。

ビジネスとしては理に適っているし、自分の魅力を上げる一つの要因になる、と当時は考え始めた。

だが、ビジネスでも成功することができず、他者との良好な関係をその中でも僕は創り出すことができず、1年くらいで辞めることとなる。

1度目の転職

会社で完全に欝気味になっていた僕は転職サイトを利用して、転職することを決意。

社会人3年目のことである。

僕がやっている仕事は専門性が高いこともあり、より給与の高く終業時間も早いところに決めることができた。

これほどの行動の背景としてはホリエモンメルマガ、金融日記メルマガの読者になったことが大きい。

自分のやりたいように生きる、問題をシンプルに考え、どう生きることが一番幸せになれるのか常識に縛られず、考え行動する。

そういったパラダイム・シフトをすることができた。会社なんていくらでもあるのだ。

ただ、できれば起業がしたかった。だから週末、大学時代の稀少な友人とスマホアプリの制作に勤しんだりもした。

そうはいっても資金力もない僕はとりあえず環境を変えたかった(精神的にも追い込まれていた)ので、より待遇が良い環境に移れたのは嬉しい誤算だった。

だが、結局人間関係に行き詰まってしまう。

同じことの繰り返しだ。どう頑張って笑顔を作ろうとも僕は嫌われてしまう。

だが、仕事はそれなりにこなせるため、四面楚歌までにはならないが・・・

自分だけ、飲みの場に誘われないなんてよくある。

アフィリエイト開始

こうして良好な人間関係を作れずにいる僕は独立して生きていこうと考え始める。

ホリエモンが確実にうまくいく商売の4原則を満たしているものという括りで考え、アフィリエイトを選択。

  • 利益率の高い商売
  • 在庫を持たない商売
  • 定期的に一定額の収入が入ってくる商売
  • 資本ゼロあるいは小資本で始められる商売

いろいろと調べれば調べる程、レッドオーシャンだ。成功するには相当な作業量が必要だ。

だが、僕はやってみせる。

2017年3月までにアフィリエイトで月10万円確定させる。

なりふりかまっていられない。